※本記事は2022年10月25日に公開された記事を再編集して掲載しています。
Photographed by 林特
Written by 古家萱
Translated by ROOMIE

「部屋は風通しもいいですし、必要なものは全部そろっています。ただ、このあたりにはちょっと変わった人が多いんです……慣れれば平気ですけどね」。そう話すのは、台湾・台北市でアクセサリーデザイナーとして活動する水源路希子こと、呉奕萱さん。
彼女の住まいは、築年数不明の“老国宅”と呼ばれる古い公営住宅。下水管の爆発や、屋上の貯水タンクの破裂など、驚くようなトラブルにもめげず、ここを住宅兼アトリエとして使っています。

1. 台北の喧騒から離れた、別世界へようこそ
2. L字型ワンルームの住宅兼アトリエ
3. 下水管爆発から始まったリノベーション
4. “老国宅バグ”の数々
5. 拾ってきたものでできた部屋
6. この辺、変な人多いですが…慣れます
台北の喧騒から離れた、別世界へようこそ
取材の日、筆者である私は台電大楼駅を出て小雨の降るなか、PIPE Live Musicの方角へ。ナビに案内されて小さな路地へ入ると、そこは台北市の中心地とは思えない静けさが包み込んでいました。
古びた集合住宅、背の高い木々、散歩するお年寄り、道端でくつろぐ猫たち。外の喧騒がすっと消え、そこだけ時間がゆっくり流れているようで、まるで別世界に迷い込んだ気分になります。
そして目的地の4階へ辿り着くと、希子さんが鉄製の玄関ドアを開けて出迎えてくれました。彼女は、アクセサリーブランド「dadiogaosai」のデザイナーで、ブランド名は台湾語で「犬のフンを踏む」という意味です。これは「フンを踏むことで幸運が訪れる」という願掛けのような意味合いを込めているんだとか。
YouTubeチャンネル『HahaTai 哈哈台』のインタビュー企画で知った方も多いかもしれませんね。

「dadiogaosai」の作品は、上海のショールームで展示されています。来シーズンの新作開発にも取り組み中
L字型ワンルームの住宅兼アトリエ
マンションの階段は広々としていて、階ごとに共用バルコニーがあります。植物を育てている家もありますが、希子さんの住まいは約9坪(約30㎡)のL字型空間。右が寝室、左前方が作業スペースになっています。仕切りはなく、モノであふれる作業机と、ソファベッドだけの簡素な寝室が対照的です。

かわいらしい眉毛のような模様がある愛犬・ローカ(肉咖)
作業スペースは「事務・発送作業」と「製作」の2つに分かれており、製作するテーブルは椅子がなく立ち作業用。「工具や革、金具が散らばっていますが、思いついたらすぐ手に取れるので問題ありません。途中で工具を置きっぱなしにすることもありますが、必要なときに見つかればそれでOK!」と笑いながら話してくれました。

気になる家賃は月8300元(約4万円)。窓が多いため風通しはよく、小さなキッチンと浴槽付きバスルームもあり、この立地では破格だ。ただ、契約書には「再開発されるまでの間」とだけ記され、明確な期限がないという。それもまたスリルの1つなのかもしれませんね。
この部屋はもともと友人が借りていたものの、空き家期間が長く、当初は荷物が山積みの“倉庫状態”で、入居後は片づけと改装に追われたようです。
下水管爆発から始まったリノベーション
この部屋はもともと友人が借りていたものの、空き家期間が長く、当初は荷物が山積みの“倉庫状態”で、入居後は片づけと改装に追われたようです。
最大の難関は浴室だったといいます。水圧が弱く、加圧ポンプを設置して間もないころ、事件が起きました。「帰宅して玄関を開けたら、ものすごく臭かったんです。なんと下水管が爆発していて、トイレからあふれた汚物が廊下を抜け、キッチンの床まで流れ込んでいました……」。

ただ、部分的に改修したことにより、新しいタイルと剥がれた古い壁が混在しておしゃれな雰囲気になったと前向きだ。花柄のシャワーカーテンやモダンな棚も相まって、ヨーロッパのインディー映画のような雰囲気すらある仕上がりに。とはいえ、浴槽は「汚れが落ちなくて、まだ一度も浸かったことがない」とのこと。
“老国宅バグ”の数々
古い建物ならではの不可解な構造も多いようです。たとえば、キッチンの換気ダクトを外に出すために窓ガラスに丸い穴が開けられており、冬は冷風が直撃。
家の中に住み着くヤモリの出入り口にもなっています。流しの下のパイプはすぐに外れて床が水浸しになるので、仕事を中断してテープで巻き直すのが日常だ。

キッチンで調理するときは塗装が剥がれないように注意!
さらに、壁の鉄製小扉を開けると、昔使われていた生ごみ投入口が。かつてはここからごみを落とすと、どこかへ回収されていったらしい。現代人にはちょっとうらやましい装置かもしれませんね。

昔使われていた生ごみ投入口

キッチンには小さな屋内バルコニーもありますが、現在は主に収納スペースとして使用中
拾ってきたものでできた部屋
部屋のあちこちに“拾いもの”があるのも、おもしろいところ。
「このスタンドライト見てください! ここ、大理石なんです!」と自慢げに教えてくれました。拾ったランプは3つあったようで、そのうち1つは友人に、もう1つは向かいの住人にプレゼントしたようです。

道端で拾ったスタンドランプの柄の部分は、なんと大理石!
本棚には、台南市・精忠三村(元軍人家族の集落)にあった取り壊す建物の壁から外したコンクリ片も。「目の形をしていて、真ん中の部分には国民党のマークがあるんです。いろいろ思うところはありますが、歴史のひとつとして取っておきたかったんですよね」と希子さん。

取り壊し予定の建物の壁から外したコンクリ片は、ブックエンドとして活用
さらに壁のプラスチック扉を開けると、奥は衣類専用の小部屋になっていました。台湾では、ウォークインクローゼットが設置されていることはよくあるものの、1つの独立した小部屋がまるまる衣服用になっている間取りはかなり珍しいようです。

「友達にはここが主寝室だと嘘をついていましたが、実は私のクローゼットなんです!」
天井から吊るされたディスコボール(光らないものの美しい)や、ポスター、絵画、拾ったアンティークの姿見など、生活感と遊び心が混ざり合っていて、空間全体としてとてもすてきな雰囲気に。

友人からもらったミラーボール
「この辺、変な人多いですが…慣れます」
住み心地を聞くと、「風通しはいいし、必要なものも揃っています。ただ、この辺には変な人が多いんです。慣れれば大丈夫ですが」と笑いながら教えてくれました。
引っ越し初日、夜中に荷物を運び続けていると、近所のおばあちゃんが「若いのに、もう夜逃げかい?」と声をかけられたことも。後日、向かいの棟から深夜に父子の口論が聞こえ、「数千万元(数億円)の借金が……」という声の翌日には家族全員が姿を消していたという。
ほかにも、引っ越し2日目に見知らぬ外国人に玄関前で挨拶されたり、酔っ払いに貯水タンクを壊されて1週間断水になったり。どれも漫画のような出来事ですが、住民たちは妙に落ち着いていて、どこかほっこりしてしまうようです。

帰り道、カメラマンと一緒に路地を歩きました。雨上がりの空気は澄んでいて、足取りも自然と軽くなる。
「希子さんの家って、ヨーロッパ映画に出てきそうですよね。朝の光がすごくきれいに入りそうですし」と私。
カメラマンは少し笑って、「いや、彼女がいるだけで、そこはもう『ミレニアム・マンボ※』の世界になりますよ」と返しました。
……たしかに。
希子さん自身も、彼女の家も、そして「dadiogaosai」も、どれもが不思議な魔力をもっているようです。彼女がデザインしたアクセサリーのルーツが伝統的な中国結びでも、彼女の手にかかれば、台湾らしさと現代的なセンスが融合した、唯一無二の粋なスタイルへと生まれ変わっていくのです。
※『ミレニアム・マンボ』:2001年制作の台湾とフランスの合作映画。独特の映像美や雰囲気が人気で、第54回カンヌ国際映画祭にて高等技術院賞を受賞。



